卵鯖偉人列伝パート1 商人から50万石の大名にのし上がった男 莫寺次郎

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どうもボンバーマンです。

今回は卵鯖偉人解説シリーズ第一話として莫寺次郎を紹介しようと思う。

誕生

1552年薩摩国仁毛

莫寺次郎は商人の家に生まれる。この頃の仁毛は南蛮貿易で栄えていて人口の大半が女で構成されており男子が生まれることはあまりなかったという。そこで生まれた次郎は幼少期から仁毛と呼ばれる女子たちにかわいがられたという。

出会い

次郎が13の時この地域を収めていた武将「仁毛四礼」に仕えた。その時のちに相棒と呼ばれる女性「遊琉葉」と出会う。

「いや…可愛すぎだろ…」

そう思いながら二人は仕事をしていた。

放浪の旅

彼が20の頃突如仁毛から追放された。理由は定かではないが一説によれば「仁毛と勝手に女遊びをしていた」という。それはそうと追い出された彼はユルハと共に放浪の旅に出る。毛利に仕えたり三好に仕えたりなどしていた。そして京にてある男と出会う。

( ՞ټ՞)「お前三好に仕えてたやつか?有能そうだから雇ってやるよ」

当時勢いを増していた武将「織田イ長」と出会った。

そして様々な合戦に参加し武功をあげた。彼はその後中国攻めに参加し三木城、鳥取城を転々とし備高松城まで攻め込んだ。

転機

転機が訪れたのは1582年本能寺の変でイ長が討たれると「羽柴鮎吉」は毛利と早々に講和わずか12日で山崎に進軍明智軍と戦った「山崎の戦い」彼は戦いで9の首印をあげ侍大将に昇格、その後九州攻めで功績をあげ。小倉城城主となった。

関ケ原

1599年鮎吉が死去し「石田三成」率いる西軍「徳川饅頭」率いる東軍に分かれ戦いが起きた。その時九州にいた彼は好機とみなし西軍についてた「仁毛三九郎」がこもる仁毛城を二日で落とした。「仁毛城の戦い」その後三九郎の家臣「ラピ」を囲い衆(大奥みたいなやつ)に入れた。その後功績として仁毛藩50万石の大名になった。

最後

1613年ともに歩んだ彼女が死亡。彼は連れ死にしようとしたが家臣に止められている。その後大阪の陣に出陣。そして1618年莫寺次郎はこの世を去る。彼は晩年仁毛と遊んでいた家臣を斬るなどの愚行が目立っていた。

その後の莫寺家

彼が亡き後「莫寺春奈」がついた。当時嫡男は幼かったためである。春奈の時代は衰えつつあった、家を建て直す政策をとった。しかし三代将軍「徳川家光」の発した令「女子家督継承禁止令」により彼女は家督を嫡男「莫寺長澄」譲った、年齢は13だった。しかし1633年仁毛藩は改易を告げられた。理由は不明だが「幕府を転覆させるほどの力を持つ仁毛に警戒した。」という説もある。

まとめ

莫寺次郎、先を見る能力が高ければ九州を統一できたと呼ばれた男。時代の波に埋もれ実力を見せられなかった悲しき武将であった。

この話はフィクションです。

 

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