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Section5 – もう忘れることのないように
――数日後。
散理はデジタルカメラを手に、再びあの『思い出されることを待つ道』を訪れていた。
相変わらずの、どこか寂し気なネオンの明かりが眩く散理を照らす。
「……」
あの幼い散理少年がここからいなくなったが、風景に変わったものはそうないようだ。
前回は気にも留めなかったが、無数の道の上にはいくつか、緻密に計算された近未来的で幾何学的なデザインの建造物がある。『ウィンドチャイム塔』と作りが似ているので、おそらくこれらも散理少年の建てたものなのだろう。
消えてもなお、さまざまなものをこの地へ残していたようだ。少しだけ散理は感慨に浸って、数枚の写真を撮った。
『チリ……お兄ちゃん?』
「ん」
ふと、後ろから小さな声が聞こえた。
振り向いてみれば、そこにいたのはひとりの金髪の少女、それから――
『SAMURAI IS DANCIN――……』
『わわーっ! ストップ! ストップ!!』
今にも侵入者を斬り殺さんと刀を握りしめた『サムライ』であった。少女がぐいっと刀を後ろへ引っ張ると、『サムライ』は観念したように手を放す。
どうやら身内には頭が上がらないらしい。従順な飼い犬のようで、散理は軽く小馬鹿にしたようにくすりと笑った。
『え、ええっと、大きいチリお兄ちゃん……チリお兄さん?』
「そうですが、あなたは?」
『わ、わたしは……マルタ。凬巻マルタ!』
「……えっ?」
珍しく困惑する散理。
「同性……ですか。珍しい」
『あ、違うよ違うよ! チリお兄ちゃんのいもーとだから、凬巻』
「……ええと?」
子供時代の記憶が無いにしても、散理にはマルタなどという名前の妹はいないはずだが。まさか物心もつかないうちに生き別れたとでも言うのだろうか。
他の可能性を考えようにもさっぱりで、戸惑いっぱなしの散理。そんな彼に、『サムライ』が一冊のノートを手渡した。
「……これは……」
その水色の表紙のノートには、マーカーペンで『凬巻散理』の署名がある。おそらく、ここから消える前に散理少年が残したものだろう。
一ページ目――
『さぞ困惑したことでしょう? マルタはとても幼い頃にここへ来たので、ほとんどの記憶がありません。
彼女の「マルタ/Maltha」という名前だけはかろうじて憶えていたものですが、それも一字一句正しいかは分かりません。
だから僕が面倒を見ていました。その中で、どうやら彼女は家族という概念に強いあこがれを持っていたようで――結果がその状況です』
「……なるほど」
どうやら別に血縁関係は無い、という認識で間違いはなかった。あの散理少年が優しく接してくれたおかげで、とてもよく懐いていたようだ。
マルタの服装が、スーツに水色のネクタイ――ただし蝶ネクタイ結び――と散理と同じなのも、もしかしたら服を貰ったのかもしれなかった。
ただ、今の散理はかつての散理少年とは明らかに雰囲気が違う。拒まれやしないかとマルタは少し怖がっているらしい。
「まあ、大丈夫ですよ。あらましは概ね把握しました」
『よかった!』
マルタは顔をほころばせた。
今回の道案内役は、マルタが買って出てくれた。ただ道を直進する以外にも、別の道へホップステップジャーンプすればささっと行ける、らしい。
『チリお兄さん、はどうしてまた来たの? まだ忘れものがあるの?』
「いえ、ウィンドチャイム塔をフィギュアにしようと思いまして」
『へー』
いまいちよく分かっていないようだ。
「半分は僕の趣味なんですがね。あの造形が気に入ったのと、それから忘れないように」
『じゃあ、飾るの?』
「はい」
『いいね!』
ぴょんぴょんと無邪気に飛び跳ねるマルタ。仕事その他で荒んだ散理の心が、少しほぐれるような気がした。
散理はマルタと『サムライ』の間で視線を行ったり来たりさせる。
「ところで、綺麗な花ですね」
前回とは違って、『サムライ』の頭には一輪の白い花が飾られていた。やや光沢を帯びた、金属質ながらも自然の温かさを感じさせる不思議な花である。
マルタの髪にも同じ花が挿してあった。
『えへへ……ちょっと前にね、別の人が来てね、みんなにこれを配っていったの! 変な人だったけどねー、やさしかった』
アキヅキと名乗る、頬の大きな傷が特徴的な男がここを訪れていたらしい。彼も今回の散理と同じように、別に何を思い出すでもなく、花を配って見て回ってから立ち去ったそうだ。
『あ、見えた見えた! あれ!』
「お」
もう『ウィンドチャイム塔』に着いたようだ。今回は『サムライ』と命がけのかけっこをする必要は無くて済んだ。
早速、数枚の写真をいろんな角度から撮っていく散理。こうして見れば見るほど、その白黒のデザインの美しい精巧さが見えてくる。
「そういえば……彼がエレベーターボーイをしていると言ってましたね」
『うん。えっと、今はね、わたしがやってるよ。その人が乗った時も動かしたの、わたし』
「へえ」
幼いながらに、マルタは『兄』の仕事を立派に引き継いだらしい。
「いいですね」
『えへへ』
少し危なっかしい走りでマルタはエレベーターのドアを開け、拙いながらも精一杯の所作で散理を招き入れる。
『じゃ、どこに行く? チリお兄さん!』
「そうですね」
パシャパシャ、とエレベーター内も数回撮影した後、散理はマルタと『サムライ』へ笑顔を向けた。
「それでは、僕の行くべきところまで」
色もなく、見えもしないその時代は、ただ蝶のように儚く終わる。
それでも、記憶の底に手を伸ばし、穏やかに流れる記憶の波を、静かに触れることだけはできる。
誰もがそれを忘れただけだ。
記憶はいつまでも思い出されるのを待っている。白紙の未来絵図は、再び抱擁を受けることを待っている……。


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