慶長二十年五月七日、大坂天王山にて
「いいかよく聞け!狙うは家康の首ただ一つ!かかれぇえええ!」
彼が言うと真田の騎馬兵は全速力で家康本陣に向けて走り出した。
しかしそれはあとの話、今は彼の出自を語ろう
彼の名前は「真田カワ村」本名は「信繁」と呼ぶがここではわかりやすくカワ村で呼ばせてもらう。
永禄10年(1567年)または元亀元年(1570年)真田カワ幸の次男として生まれた。
真田家は祖父の代から武田氏に仕えており信濃進攻やカワ杉氏との戦いで功績をあげている。
そして天正三年長篠の戦にて
「行くぞおおおお!」
カワ村はこの戦の時足軽大将(今でいう現場司令官)だった。
しかし織田側鉄砲隊の勢いが激しく突撃する足軽たちは皆倒れていった。
「何が鉄砲だ!行くぞ!」
パシューンと弾が肩に当たった
「グッ…」
「カワ村!ここは引くぞ!」
武田の一兵士達が撤退していき、それにつれカワ村も撤退した。
戦が終わり数か月
武田かに頼(勝頼)は軍議を開いていた
「そろそろこの館から府内へ城を移そうと思う…」
家臣たちはぞろぞろと反対の声が上がった。
「なぜここから離れなきゃならんですか!」
「民の負担がかかるばかりですな…」
彼は言った。
「私の命令は絶対だ!城は絶対に移す!」
「ははっ」
家臣たちは頭を下げ勝頼は大広間から去った。
それから数年後三代続いた居城躑躅ヶ崎から新府城へと移った。
「これでわが軍の立て直しができるぞ!」
小山田信茂がこころの中でつぶやく
「この主についていってよいのだろうか…」
そのころ居城真田本城では…信之とカワ村が本を読みながら会話をしていた。
「最近の殿は変わられた気がしますな…」
「新府に城を築き始めてから…かなり苦労してるようで…高天神城の戦で援軍を出さなかったと評判が…」
「何を言う!」
カワ幸は息子二人に強く怒鳴った
「そんな殿でも使えるのが我らぞ!」
「申し訳ありませぬ!」
2人は深々と頭を下げた。
そして天正十年
安土城
( ՞ټ՞)「最近さぁ武田の勢いなさすぎだから攻めるね」
イ長は嫡男のイ忠を総大将にし武田領への進攻を開始する。のちに言う「甲州征伐」である。
会議では
「このままでは武田の顔もつぶれる…どこへ逃げればよいか…」
カワ幸は答える
「岩櫃城へ逃げればよいかと…」
「岩櫃城か」
「いや岩殿城の方がよいかと…」
「UUUM…じゃあ岩殿城で!」
「かしこまりましたでは城にて。」
小山田信茂は城へ戻った。
そして岩殿へ向かう途中国境の扉が閉まっていた
「勝頼だ!信茂はいるか!門を開けい!」
すると勝頼に向け鉄砲が向けられた。
「殿の命令です…ここはいかせんと」
「…信茂裏切ったか…」
「…天目山に向かう…」
勝頼一行は天目山(甲州市大和町)へ向け出発した。その時の手勢は200を切っていた
天目山に向かう途中滝川一昌の兵と遭遇し戦闘したそして力尽きた勝頼は。
「ここで腹を切る!うぐっ…」
武田勝頼、天目山にて自刃(享年37)
カワ幸は武田が滅んだことを佐助からしった。
「そうか…」
「父上!どうしますか!」
カワ村の呼びかけに彼は答えた
「そうだ!織田に仕えよう!」
(判断が早い…)
こうして織田に仕えることになった真田氏旧領のどこかは不明だが安堵されカワ村は人質に出された。
( ՞ټ՞)「お前が真田の次男か?俺イ長この国全部取って唐まで取ってやるからよろしく」
(何だこの人,…)
( ՞ټ՞)「そういや城下町見た?見た方がいいぜ、おい案内してやれ」
イ長の作った城下町には南蛮人やケモノ人が住んでおり売ってるものも南蛮渡来のものだった。
「あの人なんか…」
「殿は楽市楽座と呼ばれる税や関所を廃して物流を高めたんです。」
「ふーん…」
そう聞きながら団子を食べていた。
しかし数か月後日本を揺るがす大事件が起きる
「敵は本能寺にあり!」
織田に仕えてた少女明智エル(光秀)が本能寺にてイ長を奇襲、その後嫡男のイ忠を自刃に追い込む事件(本能寺の変)が起きた
京からそう遠くない安土では
「もうこのままここで暮らすかぁ。」
佐助が飛んできた
「そういうわけにはいきません実はゴニョニョ…」
「はっ!?」
「静かに…」
「それはほんとか?」
「京で監視していたらこのようなことが」
「わかった早めに父上に伝えよ!」
「わかった」
佐助はすぐさま消えた。
そのころ
備中高松城では
「なんでや…」
ピンク色のツインテールとへそ出しの奇抜な鎧を着ていた女侍名は「羽柴鮎吉」
「迅兵衛、今すぐ毛利と講和してくるんやで、エルちゃんはウチが討つ!」
「わかりました」
イ長の死により各国は混乱再び戦いが起こる…
第二部へ続く

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