Section1 – 向かい風こそ再奏を
「あのさぁー。アタイ楽団とかとほっぼほぼ関わりないって何度言ったら分かるの? なんでアタイを巻き込もうとするの? 脳たりん? ざこざこおつむ?」
ややパーマ気味な黒髪の獣人――カルティベイトが肩を竦めてそう零した。
服装はクロップドトップスにホットパンツと、とても寒そうだ。半面、頭には大きなリボンを巻いており、ずいぶん重そうに見える。
そしてそのやや斜め後ろに、もうひとりの人物がいた。
「俺が遊びに誘うのは別に楽団だけじゃないぜ? 仲のいいお前が暇そうにしてたからさ」
まるで西欧の貴族が舞踏会に着ていくような、とても手の込んだスーツに身を包んだ美女――Mである。
じーっ、とカルティベイトから視線を向けられても、まったく気にした様子はない。それどころか、さらにカルティベイトをからかうためか、シルクハットからおもむろに紙吹雪を巻いて見せていた。
カルティベイトはやや色っぽいため息を零したが、ろくにそれを見ている人物はいない。
「どうせ今晩だけだろ? 暇な日常にちょっと彩りを添えてもいいと思うけどね、俺」
「風景画に墨汁を垂らせば台無しになるの! そんなことも分からないわけ?」
「時間差でオレンジになるかもしれないぜ」
「なる訳無いでしょ、このバカ。ふんっ、いつまで経っても頭わるわるなままね……」
きゅっきゅっ、と滑らかな床にカルティベイトのスニーカーが擦れる。
ふと自分の足元を見下ろしてみたが、薄暗いせいか素材のせいか、自分の顔が分かるか分からないか、くらいに反射していた。いったいどれだけの手間暇をかけてここまで広い空間の床を磨いたのだろう?
まあ、カルティベイトにとってはそんな過去はどうでもいい。一番重要なのは、この薄灰色の空間に鏡じみた床が広がっているのは、けっこう不気味ということだ。
行き当たりの見えない道の奥から冷たい風が吹いてくる。
「はぁ、仕方ない。付き合ってあげる――だからここが何なのかくらい説明しなさい」
「おっ、いいね」
Mは小さく笑った。
「ここは一種の『異世界』。サンクタム・ミューズ・ナオス、アストル、ヴェンガーソー、フォティシバル、そこらへんは知ってるだろ?」
「ナオスはさておき、アストルはなろう系みたいな世界でしょ。ヴェンガーソーは確か海洋の世界。フォティシバルはアタイも名前しか知らないけど」
「アハハッ、アストルがなろう系か、いい例えだな――もーちょっとばかしシビアな気もするが」
ジジ……とカルティベイトの視線の先にひとつのビルのミニチュアのようなものが現れる。透き通っているのを見るに、どうやら魔法かなにかで投影されたホログラムのようだ。
「まっ、その辺は今は関係ない。その異世界の知識リストにこう付け加えておけばいい――『ユメモール』。それがここだ」
「ゆめもーる?」
カルティベイトは首をかしげながらオウム返しする。
「……なんていうか、お店みたいな名前ね?」
「そりゃお店だからな」
「あ、そうなの」
逆になんだと思ってたんだ、とMはやや肩を震わせながら尋ねた。少しばかりイライラする……こいつはなにが面白くてずっと笑っているんだろう?
「ほとんどトンネルみたいなものじゃない。この景色」
小さくカルティベイトが指した先は、相変わらずの単調な通路が続いている。
冷たい鏡のような床、閉ざされた両隣のシャッター、等間隔でグレースケールの非常灯だけがともる無機質な天井。ときたまシャッターの代わりに、非常口らしきドアや消火栓があるが、それらはどことなく触れてはいけないような雰囲気を漂わせていた。
足元にあった段ボール箱を蹴飛ばすと、どさりと倒れて湿気の多い土が地面に散らばった。
なんとも不気味だ。こういうのを指すために『リミナルスペース』なんて言葉があるんだろう、とカルティベイトの頭の辞書が実感を伴って追記された。
「まぁ確かにそうだな。……どうした、怖いのは苦手なのか?」
「ち、違うっ! ……ふんっ、アタイがこの程度で怖がるわけないじゃない。どこにも……ほら、気配なんてしないんだし」
「アハハッ。まあ、そういうことにしとくぜ」
「な、なによこのとーへんぼく! おたんこなすっ、バカ」
「ハハハ」
むしゃくしゃしたのでMを殴りつけてみたが、ボスッと綿のような感触がしただけだ。……やっぱりこいつは嫌い、大っ嫌い。
「そろそろ広場に着くぞ、多分」
「……広場?」
「モールのど真ん中の吹き抜けさ」
ビュウウウ――と激しい突風にカルティベイトは顔を覆った。
そして風はすぐに止み、顔を上げるとそこに広がっていたのは――
「わ……!」
想像を絶する広さの、大きなショッピングモールだった。
◆次回はこちら



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